ブラチスラヴァB 中央広場・大司教宮殿

 中央広場(フラヴネー広場)は、中世より市の中心広場として使われた広場、様々な市の催しや集会などが行われました。今では夏にはカフェや土産物の屋台で賑わい、クリスマスの時期には飾りや民芸品、ホットワインや軽食を売る市が立ち、年中賑わっています。広場には、旧市庁舎のほか、日・仏・希の大使館、政府迎賓館もあります。
 大司教宮殿は1781年に建てられ、ブラチスラヴァで最も華麗な宮殿の一つとされています。もともとハンガリーのエステルゴムに置かれている大司教の冬の宮殿として建設され、ハンガリー王国時代は王族が戴冠式の際にこの宮殿で盛大な晩餐会を催したと言われています。また、 1805年のアウステルリッツの戦いでは、ナポレオンがプレスブルク平和条約に署名、 1848年の市民革命に際しては農奴制廃止の協定の署名が行われ、 1968年の「プラハの春」 1か月前にはチェコスロバキア内政への不介入合意が一旦はソ連との間で行われるなど(1か月後にワルシャワ条約軍は全土に侵入した)、この地域の歴史に重要な役割も果たしました。

 

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